業務寸感

本ブログは事実と証拠と法令に基づかずに個人的に放言するものです。

【読書記録】判決 訴権の濫用—断罪された狂言

 

 

背景

N夫妻は,創価学会の信者であった。当時,N夫は会員から借り入れを相当しており,いずれも民事訴訟で判決が出ていた。禁止行為であったから,N夫妻は除名された。そのような中でN妻の手記が週刊新潮に掲載された。背景には,自民党S議員の思惑があったと推測される。当時,自民党は連立による政権奪還を果たした直後で,新進党が結成されて二大政党政治の時代に移行するような機運が高まっていたから,新進党の一部の議員を失脚させるため,支持母体である創価学会を糾弾する狙いが見受けられた。

 

訴訟経過A

請求原因は,昭和48年・昭和58年・平成3年の暴行事件であった。平成8年の訴訟提起時点で時効にかかっていたから,訴訟という形式をとって大々的・継続的なスキャンダラスな報道を続けるには不可能であった。そこで,N夫妻は,週刊誌を利用して挑発を繰り返して,創価学会の反論に対して名誉毀損訴訟という構造を取ろうとしたと推測される。ただし,学会側が挑発に乗らなかったので,原告に夫を加えた。夫が知った時期が手記の公表時として設定することで,時効を回避したのである。

 

弁護団としては,勝訴はもちろん,悪評を喧伝され続けるのを防ぐために,訴訟の早期終結を目指していた。そこで,暴行の事実を争点には置かず,時効による棄却を主張した。これに対して,N夫妻の主張は稀有なものであった。

 

ひとつは,宗教的呪縛論といわれるものである。宗教的呪縛により請求権行使が事実上不可能であったとして時効の起算点を後ろ倒しするものであった。これは,信平夫妻はみずから脱会届を出し,みずからの意思で宗教上の帰依を決めていたから認められない見通しであった。

 

もうひとつは,異常な請求の追加的変更である。信者による貸金返還訴訟,手記発表に対するマスメディアを通じた反論はすべて被告の指示によるものであるとして,一連一体の不法行為が存在する,と主張した。要するに,S48~H8まで30年にわたる不法行為があるというのである。

 

弁護団は,時効と除斥期間が明らかなものは中間判決の申立てを行った。そこで,裁判所は,妻側の請求と夫の請求一部(S48)を分離・判決することとした。当時,週刊新潮は,裁判所批判を加えていたものの,弁論分離・判決の経緯をまったく捉えておらず,はじめから創価学会批判のための訴訟であることを露呈させていた。

 

原告らは,審理再開の申立て,裁判官忌避申立てを行ったが,いずれも奏功せず,妻側の請求と夫の請求の一部(S48)は,時効と除斥期間によって終結した。

訴訟経過B

夫側の請求のうち,昭和58年・平成3年の妻に対する暴行は依然として審理にかかっていた。弁護団は,正面から争うとともに,早期打ち切り(訴訟要件欠如)のために訴権濫用を主張することにした。

【読書記録】チンギス紀(三)

米と混じり合った肉を,トクトアは小刀で掬って口に入れた。「うまいなあ」。躰が,ふるえているような気がする。同じものを,営地の大家帳で食ったとしても,こうはならない(中略)「いつまでも,ひとりきりだよな,おまえ。その方がいい。煩わしくないぞ。時々,俺という友がいるしな」。自分が笑いながら喋っていることに,トクトアは気づいた。(p.268)

 

あらすじ

テムジンとタイチウトはふたたび戦となる。テムジンの軍は精強である。テムジン2000騎に対し,タイチウトは6000騎と数の優位があるにもかかわらず,押し込まれている。そこで,突如現れる50騎がテムジン軍を阻む。トドエン・ギルテに雇われた玄翁であった。ジェルメの師である。

 

玄翁の働きを見たラシャーンは,タルグダイに付いてほしいと頼む。そして,ふたたびタイチウトとテムジンが衝突するさなか,テムジンがタルグダイの右腕を切り落とし,命を奪うかと思われたところで,玄翁はテムジンに瀕死の一撃を与える。

 

タルグダイの勢力が落ちる頃,テムジンは体力を回復させるとともに,ボルテの懐妊によりホエルンの営地に居た。トドエン・ギルテは卑劣にもそこに暗殺を仕向ける。チャラカは囮として皆の命をつなぐために死んだ。否,生き抜いたのであった。テムジンは,差し向けられた兵を首をタイチウト領との境にさらし首にした。

 

トドエン・ギルテは怒っていた。テムジンだけではない。タルグダイに付いた玄翁に対してもであった。もう玄翁になど頼るまい。タルグダイも今は戦はできない。自分だけで決着をつける。そう考えた。テムジンは2000騎で,自分は4000騎を擁しているのだ。負けるはずがない。進発とともに高揚感がトドエン・ギルテを包んだ。衝突。繰り返す。玄旗を掲げた。テムジンは怯むはずであった。気が付くと独りであった。打ち負かされていることを,自分がこの程度の男であったことを,トドエン・ギルテは今はっきりと理解した。身を整え,自裁する。

 

寸感

実はもう十巻まで読んでしまった。少し読み直さないとかいつまむことさえままならない。それでも感想は変わらない。トドエン・ギルテ…なさけないと思わないのか。タルグダイの中には弱さがあるが,愛すべき弱さだ。トクトア。ただの都会に疲れたおじさんキャンパーではないか・・・かわいい。やはり”賢慮”という言葉にふさわしいおじさんである。こうなりたいおじナンバーワンだ。

 

【読書記録】チンギス紀(二)

「あの羊は,もう献上する気はないのですよ。たとえ襲って奪うという恰好をつけてもジャンダランの羊は,一頭たりともメルキトには渡しません。」(中略)「わかった。それではな,ジャムカ」,「いつ,どこでやります?」,「いま,ここで」(p.203)

 

あらすじ

テムジンは弟たちと草原を駆けた。キャトのテムジンの帰還と興りを知らせるために。チルギダイ,クビライ・ノヤン,ヌオ,バブガイをはじめ仲間が集まる。他方で,テムジンの行動はタイチウト氏に知るところとなる。チャラカとモンリク,ダイルはかねてからテムジンを支えるために山に交易網と製鉄の要衝(鉄音)を築いていた。こうしてテムジンは,軍と後方の両面を整えてゆく。

 

他方で,トドエン・ギルテとタルグダイは,現れては消えるテムジンに手をこまねいていた。そこで,ホエルンらの営地を包囲してテムジンをおびき出そうとする。ところが,タルグダイの心を知るラシャーンが,ホエルンにたちまち切りかかってしまう。カチウンは知っていたのだろうか。ホエルンを守って代わりに切られる。その身体はほとんど二つであった。カチウンの死の報せを受け取ったテムジンは怒りに任せてタイチウト氏との戦を進め,ひどい敗けを喫する。

 

寸感

私はジャムカとトクトアが好きだ。二人の関係性が好きだ。二人には信頼がある。特にトクトアには賢慮がある。この二人にはいつまでも一族を守ってほしい‥‥(がそれは難しいのはシナリオ上分かっている・・・)。

 

 

【読書記録】チンギス紀(一)

ひとりを自分自身の手で殺した時だ。つまり,自分が見えなくなる。何をしたかったのか,どう生きようとしていたのか。簫源基は,握った短剣に命が消えるふるえのようなものを感じ,自分が生きたいように生きていないということを,はっきり感じてしまえば,それだけで十分だった。(p.232)

 

あらすじ

イェスゲイの死後,キャト氏は衰退の一途を辿った。ホエルンの毅然さでかろうじて持ちこたえていた。長子テムジンにはその燃える目があった。しかし,あまりに幼すぎた。一方で,テムジンには恐ろしさがあった。だから,トドエン・ギルテ(タイチウト氏)は弟ベクテルをそそのかした。だから,テムジンはベクテルを殺した。周囲には”魚を奪ったからだ”と説明していたが,それが真実であった。だから,テムジンは弟殺しの罪を負って,大同府(金国)で妓楼で働きながら暮していた。あるとき,簫源基の馬車を引いている折,タイチウトの刺客に襲われる。簫源基は,そのうちのひとりを殺し,テムジンを救った。と同時に,みずからの生も取り戻した。その簫源基に導かれ,テムジンは西夏まで赴いて,鉄・物流と見識を広げた。そうして

 

感想

チンギス紀をなぜ読もうと思ったか。たしかどこかで完結したという記事を見たから。

 

では,なぜチンギス紀をもともと読もうと思っていたか。これは,「平和の国の島崎へ」というマンガの作者が「ハーン-草と鉄と羊-」という作品を書いていて(打ち切りになっていたはず。),これがめちゃくちゃおもしろかったので,チンギス・ハーンの歴史を読んでみたかったからだ。

 

三国志も水滸伝も-北方作品に限らず-登場人物全員がすてきなのが特徴だ。チンギス紀も例外ではない。

 

  • ハート様(北斗の拳)のような簫源基がこんなすてきな導き手になるなんて(笑)
  • 泥胞子とボオルチュの優秀な部下ムーブがたまらん
  • ジャムカもかっこいいけど,そんなことよりトクトアさん。「ハーンー草と鉄と羊-」とキャラ違いすぎない,めちゃくちゃ良識あるやん

 

などなど。やっぱり歴史ものはいいなぁ。この価値観は,幻想水滸伝によって幼い頃にDNAレベルに刻み込まれた男のロマンだなぁ・・・と。

【読書記録】血も涙もある

でも,仮面は,自分の本当の皮膚ではないから,やはり時々うっとうしくて引っ剝がしたくなる。で,たったひとりの時にそうするの。そして,心の底からのびのびしたり,反対に深い自己嫌悪に陥ったりする。そのひとときを自分に許可する。それが,ひとりであるが故の本物の休息。(p.198)

 

山田詠美「血も涙もある」(2023,新潮文庫)

 

くさく感じてしまい,没入できなかった。時代なのか,自分の変化か。あるいは,”節”を出そうとしすぎている小説なのか。ただし,引用部分にあるような表現はやっぱり山田詠美さんだよね,すごいよね。

【読書記録】ボロ物件でも高利回り激安アパート経営

半径二メートル以内に近づかないこと(中略)用事が終わったら「オジサン、忙しいので」と言ってすぐ帰ること(p.192)

 

アメリカでの俳優業で芽が出なかったと語る著者が、地元北海道に帰ってきてから不動産で芽吹く不動産投資の本。あまりにも語り口が軽い(軽すぎる笑)ので、人によっては拒否反応を起こすかもしれないが、大事なところではきっちり分別を見せるあたり,本当はわきまえのあるおじさんなのだろう。冒頭引用部分も、女子専用アパートで借主の女子学生に物件を掃除してもらうときの一コマである。意外にも距離感を適切に取っていて、ついつい好きになってしまう。

 

内容としては、結構セコい!非常食のカップ麺を置いてみたり、ペンキは自分で塗っていたり。とはいえ、経営者ならばお金にシビアなのは当たり前だし、0to1をやる創業者ならば特にそうだ。「自分でやれることは自分でやるし、売上に直結するものに絞って労働資本を投下する、その他のことは気にしない」というのは事業の基本なので、「せこい!」は「そこまでやるか!なら成功するのも納得だ!」という感想の裏返しだ。

 

投資手法をまとめると

 

築古物件で、しかも適正価格に対して価格設定の甘い物件に対して、速断による現金払いによって「鬼のような指値」(商標申請中とのこと。)を入れる。そのうえで、最低限のリフォームをかけて、それでよいのだという借主に入居してもらう。その後は自主管理で、なるべく費用を削って物件を維持する

 

というもの。

 

抽象論としては、不動産投資としては王道ではあるから、結局のところ、これを徹底できるか行動力があるから成功できる。非常食にカップ麺を置くなんて、低コストで実践しやすいのだろう(今の時代では気持ち悪がられるような気もするが…)。

 

 

【読書記録】この女

そら,ええのう。いつまでもわくわくが続けばええのう。そやけどひとつだけいわしてや。人間,夢を食うては生きていかれん。特に社会から弾かれやすい性分の人間は,どんだけ必死で地に足をつけて歩いとったって,あかん風が吹いたら一息でとばされてしまうんや。用心して用心して,それでも飛ばされてしまうんや。あんたかて六年も釜におったらわかるやろ。自分を守れるのは自分だけや。その自分がしょっちゅう敵にもなる。p.118

 

森絵都「この女」(2014,文春文庫)

 

1.あらすじ

1993年。礼司はいつものように釜ヶ崎で日雇いの仕事を探していた。そこへ大輔が今年も訪ねてくる。大輔は,文学部の大学生で,夏休みの課題にプロレタリア文学小説を書きたいといって昨年出会った。ところが,結局,大輔は書けずに,礼司に代筆を頼んだのだった。今年は,新しく小説の執筆を依頼したい,300万円の謝礼が出る,と。礼司は謝礼につられて依頼主に会う。依頼主が依頼したのは,妻の小説であった。そこから,その女への礼司の取材が始まる・・・。

 

2.寸感

物語の全体が,出来事→ 出来事の叙述と礼司の主観 → 文章(小説)化 → 教授の手紙 → 大輔の主観 という複層構造になっている(大輔の主観は物語に影響しないものの,教授の手紙を受け取って読んでいるのは,読者である我々というより,論理的には”大輔”であると考えられる。)。本来複雑なはずの構造が,わかりやすい文章(他方で,だいぶおかしな,つまり関東の人間が考える関西弁,特に西成の関西弁の模倣)により描かれることで,小説の世界に没頭していける*1。

 

”この女”は,アンビバレントさを抱えながらも闇堕ちしない。そういうあっけらかんとした女性的強さに助けられながら,礼司は自分の居場所を持つ恐怖と勇気(というよりも背中を押されたもんで,知らず知らずのうちの前に進み続けて,あとは慣性の法則で進み続けるはずだ。)を持ったんだね。

 

*1:カラフルもそうだったが,森絵都さんといえば,描かれている人間に対し,ひとつ上階からもうひとりの人間がさらにかぶせるような世界全体の構造を複層化して描くが特徴だが,森さんらしい設定といえるだろう。